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宋文洲のメールマガジンバックナンバー第296号(2016.03.04)
社長の秘密
1.社長の秘密(論長論短 No.263)
2.とある会社の裏話 ~社長交代から会社が健康総合企業となった理由
タニタのご紹介(タニタの谷田千里社長の連載 第2回)
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■1.論長論短 No.263
社長の秘密
宋 文洲
1. 嫌いな社員がいる
どんな社長にも嫌いな社員が結構います。人間ですから社員の中に人間として好きな社員と嫌いな社員がいるのは当然です。しかし、良い社長はそれを上手く隠せる上、人事評価に好き嫌いを絶対反映させません。好きな社員を抜擢し、重要なポストにおく社長はかなりいますが、長く続くと必ず組織が衰退していきます。
私の友人に正直者の社長がいて部下やお客さんの前で「人事は社長の好みで行ってよい」と公言しています。好みで人事を行いたい気持ちはとても分かりますが、敢えて明言すること自体、社員達の仕事に使うエネルギーを奪うだけですから何のメリットもありません。嫌な社員でも仕事さえしてくれれば、何の不利益も被らせないという公正さと嫌な社員を褒める演技力は良い社長の基本です。業績こそ、社長の好みです。
2. 迷いが多い
社長の最大の役割は組織の方向性を定めることです。どの分野にリソースをシフトさせるか、どの事業を撤退させるか、どのような人を抜擢させるかなど、毎日、心中で悩んでいます。しかし、悩んでも悩みを社員に見せる訳にもいきません。社員は社長の明快な方針と言葉を聞いて行動するものです。
したがって下駄を投げて決めたことでも一旦決めたら恰も100%正しいような振りをしなければなりません。しかし、気持ちの中で常に「これで本当に大丈夫か」という自問を残す必要があります。
良い社長は「まずい」と分かった時点で態度を180度変え、社員が納得できる方法で変更の理由を釈明しますが、悪い社長はそれを総括せず曖昧なままにしておきます。最悪の社長は自分の正しさを証明するために最後の最後までやり通します。根性や精神力ではなく、業績こそ社長のプライドです。
3. 辞めたくなる時がよくある
社員は会社を辞めたりしますが、社長も会社を辞めたいと思う時がよくあります。
もちろん上手く行っている時は誰も辞めることを考えませんが、上手く行かない時は必ずあります。株主との関係がうまく行っていない時、役員や社員との関係がうまく行かない時、不祥事が起きた時、会社が経営危機に瀕している時など辞めたくなる時は結構あります。
逃げずに頑張っている理由はいくつかあります。まず社長になれるような人は逃げるのが嫌なタイプが多いです。辞めるとしても名誉のある辞め方をしたい気持ちが強いのですが、この名誉ある撤退に拘るあまり、辞めたくてもなかなか辞められない社長もいます。まあ、一種の株を売り損なった状況です。
次によくあるのは辞めたいと思いながらも、他にもっと良い職業やポストが見付からないため、「俺にはこれしかない」と気付き、頑張っている人達です。
正直、就職も結婚も、人間はだいたい贅沢を言えないから現状に納得するケースがほとんどですから、このような社長を非難する資格は誰にもありません。
一番良くない社長は辞めたいと一度も思わない人です。このような社長は本当にいるかどうかは分かりませんが、いるとすれば最悪です。
社長の最後の大仕事は後任作りです。後任を見付けられないと苦悩する社長は多いと思いますが、良い社長は見付けるものではなく、見付かるものです。
社長を辞めた後ももう少し会社に居座りたいと思う社長は所詮本物の後任を見付けることができません。なぜならば本物の社長は隠れ上司を必要としていないからです。
(終わり)
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■2.タニタの谷田千里社長の連載 第2回
とある会社の裏話 ~社長交代から会社が健康総合企業となった理由
タニタ食堂
谷田 千里
今回は、弊社がなぜ食堂事業に取り組むことになったのかということをお伝えします。きっかけは、レシピ本「体脂肪計タニタの社員食堂」(大和書房刊)のヒット(ラッキー)が起点となり、そこからの展開でした。
この事業に乗り出した背景には三つの要因があります。一つ目は、私自身、調理師・栄養士の両方の資格を持っているため、「食」の分野が好きで、多少は明るいということ。
二つ目は、お客様からの期待感が大きかったことです。レシピ本のヒット以降、弊社の代表電話にはお客様から「社員食堂で食べてみたい」というご要望が殺到していました。しかし、社員食堂の一般開放は難しく、毎日お詫びをしている状況が続いていたことから、これに応えることが会社の使命だと考えたこと。
三つ目が、レシピ本のヒットやヘルシーメニューに対するお客様ニーズの高まりが、社長就任から日の浅い時期であったため、自分の実力を「はかる」にはうってつけと考えたこと。早めに実力を見て、仮に失敗してもそこから学べば、今後成長するための糧になるという気持ちがあったのです。
これらのことから、製造業である弊社がサービス業にも挑戦できたのです。
また、自らが率先して行うことにより、社内に対しても、変化・改革の機運を示せると考えたことも理由としてはありました。
さて、私としてはこの事業を立ち上げるにあたっては、対外的なイメージ戦略というより、会社を次の成長に導く環境整備であると思っていました。しかし、対外的な印象は大きく違いました。このチャレンジは、様々な方々にとって大きな衝撃だったようです。記者発表にはじまりタニタ食堂の開店以降も様々なメディアで取り上げていただき、対外的な弊社のイメージはすっかり変化しました。
つまり、「健康総合企業のタニタ」が誕生したのです。
私は当初、タニタ食堂の展開にあたって「全国都道府県に1店舗」という目標を掲げました。しかしながら、始まってみると、この弊社の社員食堂の調理法やコンセプトをパートナー企業様にお伝えし、忠実に再現していただくことが非常に難しいという課題が見えてきていました。
このため、商品同様に品質保持をするためには、きちんとメソッドを伝え、実習する場が必要であるという結論に達しました。そこで服部栄養専門学校の服部幸應先生にお力添えをいただき、同校でタニタシェフ育成コースが始まることになったのです。
タニタ食堂の事業展開によって企業イメージやブランドは飛躍的に向上しました。
しかし実は、こんな背景もあったのです。また、この経験からも、世代交代で悩まれている方々に申し上げたいことがありますが、それは、5回目にお話しします。
(次回につづく)
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