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宋文洲のメールマガジンバックナンバー第275号(2015.05.15)
「私は運が良い」と言う人々
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1.「私は運が良い」と言う人々(論長論短 No.242)
2.国境のない大陸
(福西浩 東北大学名誉教授 新連載「南極~フロンティアへの挑戦」)
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■1.論長論短 No.242
「私は運が良い」と言う人々
宋 文洲
「運も実力のうち」。日本ではよく聞く言葉です。私は自分の運は良いと思うのですが、全く実力だと思わないのです。真面目に本当に「運が良い」と思うのです。
実際、私が中学生に上がる直前に文革が終わって中国では試験制度が再開されました。田舎で差別された私達家族が差別されなくなり、受験の点数で都会の一流大学に進学できました。一切の費用もかからずお小遣いまでもらえました。
これは運が良かったと言わなければ何と言うでしょうか。
「勉強よりも労働と革命が優先」の時代に学校に通った兄と姉達は勉強ができても何の意味もありませんでした。ただ生まれる時期が違うだけで彼らと真逆の人生を歩める私は運命に感謝するしかありません。
数十年の人生を振り返ってみると私の人生にも明らかに不運の時もありました。
しかし、幸運を思い出せば、不満不平がなくなり、逆境を自己鍛錬のチャンス、次のステップアップへの授業料だと思えるようになるのです。やがて新たな幸運が巡ってくるのですが、逆境で覚えた感覚を目いっぱい活かすため、その不運が幸運の実りをより大きくしてくれるのです。
良い経営を長く続ける経営者の友人を観察してみるとやっぱり共通点は「幸運」でした。第三者から見れば彼らは単なる努力家で逆境に負けないタイプの人に見えても、ご本人は真面目に自分の幸運を信じますし、実際によく「私は運が良い」と口に出すのです。
不動産経営のKさんがよく「運が良い」として使う事例はこうです。
ある日、彼は偶然の用事で所有するビルに立ち寄りました。一階のスーパーの非常口付近に積み上がった荷物を見付けて撤去するように依頼しました。その翌週、そのスーパーで大きな火事があったのです。非常口がスムーズに開いたため買い物のお客さんは一人も怪我せずに済んだのです。
このKさんとのお付き合いが長いため、彼がこの例を使って「俺は運が良い」と言ったことを十回以上聞いたと思います。Kさんも大きな失敗はあります。
しかし、彼はその失敗の苦しみから教訓を学び、その後の経営にその感性を上手く活かしたのです。不運が続いた時があるからこそ、上手くいった時は「運が良い」と素直に思えるのです。
最近、経営の神様のように世間を説教する某経営者先輩にあまり賛成できません。
しかし、彼のある問いかけに私は密かにショックを受けました。それは経営者が全力を尽くした時、自分に「神に祈ったか」と問うべきというお勧めです。
事業と投資が上手くいくかどうかは誰も分からない時が多いのです。特に厳しい状況下での経営判断は賭けに近いのです。人間としてできるすべてのことを考え尽くし、やれることをすべてやり尽くした上、祈りは結果に役立たないと知りながらも、なお且つ祈らずに居られない状況こそ、全力を尽くしたことです。
そこにもし期待の結果が出てきた場合、経営者は「俺の実力だ」ととても思えません。まず感謝です。社員に感謝し、顧客に感謝し、パートナーに感謝し、家族に感謝し、そして幸運に感謝します。
「運が良い」と思えるとは、全力を尽くした証拠なのです。
P.S.
鉛色の空に包まれた厳冬の北京。訪問学者として北京駐在の福西先生の家にお邪魔したのは4年前のことでした。温かい室内で美味しい料理をいただきながら拝見した南極のオーロラ画像は一生忘れることがありません。
福西先生は当時東北大学の現役教授でしたが、以前、日本の南極越冬隊の副隊長を務めたこともある学者です。地震、温暖化などについていろいろと教えて下さいましたが、一番忘れられないのはやっぱり南極の話でした。
だいぶ前から先生にメルマガへの寄稿をお願いしていましたが、やっと今日から掲載することができました。
北大に居た頃、先輩達からよく南極Z号(人形)の話を聞きました。
本当かどうかを確かめたかったのですが、先生にとうとう聞けずに今日に至りました。
そういうレベルの低い話は当然メルマガにも出て来ないと思います。
(終わり)
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■2.東北大学 福西浩名誉教授 新連載「南極~フロンティアへの挑戦」
国境のない大陸
福西 浩
今から半世紀前の国際地球観測年(略称IGY、1957~58年)は宇宙時代と南極科学観測時代の幕開けとなった記念すべき年です。世界初の人工衛星スプートニク1号が1957年10月4日にソビエト連邦(現ロシア)によって打ち上げられ、米国は1958年1月31日にエクスプローラー1号の打ち上げに成功しました。また南極地域では、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、日本など12カ国によって本格的な観測が始まりました。
IGYに参加した日本は、1957年1月29日に南極大陸から4キロ離れた東オングル島に昭和基地(南緯69度0分、東経39度35分)を開設し、今日まで58年間にわたり南極観測を続けています。最近ではオゾンホールの発見や氷床ボーリングによる気候変動の研究など、日本の南極観測が地球環境変動のメカニズムの解明に大きな貢献をしています。また、「宇宙に開かれた窓」として、南極でのオーロラや地磁気の観測が地球周辺の宇宙環境変動を予測する「宇宙天気予報」の発展に貢献しています。
南極は、地球最後の秘境として観光でも人気が高まっていますが、研究者にとっては未解明の自然現象や生命現象に溢れており、きわめて刺激的な地です。厚さ3000メートルを超す氷床には過去100万年にわたる太古の空気や火山灰などがタイムカプセルとして閉じ込められており、これらの分析から過去の地球環境を精密に再現する取り組みが始まっています。さらに氷床の底には氷底湖があり、現在の地球環境から隔絶された数十万年前の微生物が閉じ込められている可能性が高く、その調査も始まろうとしています。
南極は地球の将来を考える上でも魅力的な地です。それは地球上で唯一の国境のない、平和目的のみに利用し、軍事目的の利用を一切認めない大陸だからです。どうしてこのような理想的な地域が地球上に実現したのかちょっと不思議に思われるかもしれませんが、南極条約の締結にはIGYが大きな貢献をしました。IGYに参加した12カ国は、南極の自然環境を明らかにするという共通の目的のために互いに協力し、大きな科学的成果を得ましたが、この協力体制を確固なものにするために南極条約の締結を目指しました。しかし、イギリス、ノルウエー、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、チリの7ヵ国が領有権を主張したために一時は条約の締結が困難な状況になりました。
しかし領有権で争えば南極地域を全人類の共通の財産にすることはできないことに各国は気づき、最終的に南極条約は、領有権を主張する国(上記の7ヵ国)、領有権を主張しない国(日本、ベルギー、南アフリカ)、領土請求権の根拠を保持する国(米国、ソ連)の三者の立場をそのまま認めることで妥協しました。この状態は、南極が氷の大陸なので、「領有権主張の凍結」と呼ばれています。
日本から砕氷船「しらせ」で南極の昭和基地に到着した南極観測隊員は入国手続きなしで上陸できます。日本人が南極の他国の科学観測基地を訪問する際も入国手続きは必要ありません。よく考えると、世界で起こっている様々な紛争のほとんどは領有権の争いです。もし各国が紛争地の領有権主張を南極のように凍結できれば、紛争はなくなるはずです。国境を考えずに世界の研究者が協力する南極の姿が将来の世界の姿になる日が来ることを願っています。
(つづく)
執筆者:福西 浩(東北大学名誉教授)
東京都出身、東京大学理学部卒、同博士課程修了、理学博士。米国ベル研究所研究員、国立極地研究所助教授を経て、東北大学教授として宇宙空間物理学分野の発展に努める。南極観測隊に4度参加し、夏隊長や越冬隊長を務める。
2007年から4年間、日本学術振興会北京センター長として日中学術交流の発展に尽す。2011年から3年間、東北大学総長特命教授として教養教育の改革を推進する。専門は宇宙空間物理学で、主に地球や惑星のオーロラ現象を研究している。現在は、公益財団法人日本極地研究振興会で南極・北極観測の支援と研究成果の普及・教育活動を推進している。
公益財団法人日本極地研究振興会ホームページ:http://kyokuchi.or.jp/
(終わり)
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