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宋文洲のメールマガジンバックナンバー第268号(2015.02.06)
いざという時の日本人の冷たさ
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1.いざという時の日本人の冷たさ(論長論短 No.235)
2.女性が一人勝ちするわけじゃない
(社会学者 古市憲寿さん 連載 「男はつらいよ」 最終回)
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■1.論長論短 No.235
いざという時の日本人の冷たさ
宋 文洲
テロリストの定義はその主義主張ではなく、用いる手段です。直接関係のない一般民衆に暴力恐怖を与えることで政治目的を狙う人々はテロリストです。
どんな立派な主義主張、どんな立派な宗教信仰を以てしても、テロリストです。
二人の日本人を殺害したテロリスト達は、まさに正真正銘のテロリストであり、戦後日本に対して初めて本当のテロを起こしました。しかも彼らは今後も世界で日本人を攻撃すると明言したのです。
ここ数年、中国でもテロがいくつもありました。日本のマスコミ、特に右翼マスコミは民間人を虐殺したこれらのテロ行為を、恰も中国政府の政策に反対する宗教や独立の動きとして報道してきました。
今回、テロリストが日本政府の政策を理由に無辜な日本市民を殺したのですから、少しテロリストの理不尽さが分かったでしょう。それから平和に抗議する市民達を「テロ」と呼ぶ政治家も少しその「テロ」という言葉の重みを知ったでしょう。
同じ漢字文化圏や儒教・仏教文化圏の中で口喧嘩を売ってもせいぜい口喧嘩で返されます。それでも二、三年もしないうちに指導者が顔を合わせざるを得ないのです。表情の作り方などの細かいことに文句を言いながら。
しかし、同じ軽いノリで異なる宗教を堅く信じる人々に口喧嘩を売ると人質が殺害され国民全体が攻撃対象にされてしまうことを、今回、安倍総理は分かったでしょう。
それよりも一番分かったことはお国の許可がないところに行った国民がテロ行為に遭っても「自己責任」という理由で彼らを見捨てる日本人の多さでした。それと二人が殺害された後、半旗を掲げる国々がたくさんありましたが、日本はそんなことをしないだけではなく、追悼の活動さえ見えてきません。
「断固非難」「絶対許しません」という無力な言葉を発されても、逃げているように見えてしまいます。遠吠えは猿でもできます。この世の中にはテロを認める人はいません。テロリスト達は自分の行為をテロではなく正義のための聖戦や抵抗だと解釈しているのです。
「日本人はみな優しい」。日本に旅行した中国人観光客は口を揃えます。
実際に私もそう思います。しかし、今回の二人の殺害の際に見せた多くの日本人の、「自己責任」「勝手に行っただろう」という反応を真当たりにして私は悲しかったです。優しさとは何でしょうか。
「遊泳禁止」の看板があってもそれを無視して泳いで溺れそうな人が居ます。
確かにいけません。でも人を救出する際にそんなことは考えません。懸命に救出してから説教するものです。罰してもいいのです。
しかし、結局、総理大臣が「テロに屈しません」とポーズを取っているうちに、そして国民の「自己責任」の嵐の中で、多くの時間とチャンスを無駄にし、二人の人質が見殺しにされたのです。世界屈指の大国日本の国民として皆さんはどう感じるでしょうか。
私が感じたのはいざという時の日本人の冷たさでした。日本の著名政治家と日本軍が満州に開拓民を見捨てて先に逃げた事実を思い出さざるを得ませんでした。
(終わり)
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■2.社会学者 古市憲寿さん 連載「男はつらいよ」 最終回
女性が一人勝ちするわけじゃない
古市憲寿
これからは「女性の時代」だってことを散々説明してきた。
でもそれは男性が今より不遇になるという意味ではない。
むしろ女性の時代の到来は、多くの男性にとっても生きやすい社会になるはずだ。
男女が共に働くようになれば、男性だけが長時間労働をする必要はなくなる。
世帯単位で考えても、男一人が16時間働くのは大変だが、男女がそれぞれ8時間働くのならば現実的だ。
共働きは家族を営んでいく上でのリスクヘッジにもなる。
どちらか一人が失業しても、もう一人がカバーすることが出来るからだ。
こんな不安定な時代に、たった一人が家族を支えるなんて無理があるに決まっている。
今まで男性は過剰に下駄を履かされてきたのだろう。本当は弱くて、卑屈で、頼りない人であっても、強く、たくましく、マッチョであることが求められてきた。それは経済成長期の社会の要請でもあった。国家を背負い、家族を背負い、ねずみ色の背広に身を包み、一心不乱に生きてきた。
だけど、そんな愚直な生き方を褒めてくれるのは中島みゆきくらいだ。
もう男性が強がる時代は終わりだ。履かされていた下駄を脱いで、フラットに世界を眺めてみればいい。それは意外と楽しい経験かも知れない。
(終わり)
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