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宋文洲のメールマガジンバックナンバー第356号(2018.07.20)
偏見と差別が生じる簡単な理由
恋愛中のカップルが結婚する確率は、あることに強く依存するという研究報告があります。それは金や立場や情熱などではなく、距離なのです。統計では距離が遠いほど、別れる確率が確実に高くなります。
ネットが発達し、東京に居てもいつでもニューヨークの恋人と顔を見ながら話せる時代ですが、この原理は変わっていないようです。
習慣、文化、宗教、行動パターンなど、どれを見ても人間は距離によってグループ分けしています。理由は単に近いところの人間同士は影響しあい、段々染まりあい、最終的に親近感を抱くからです。
このことは遠いところにいる人と接触しないと分かりません。いつまでも親戚や隣人や同僚としか付き合わない日本人はアフリカや南米で出会った韓国人や中国人への親しみは湧かないでしょう。
世界になぜこんなにも多くの国と言語があるのでしょうか。キリスト教では人間への罰としてお互いが言語を分からないようにしたとか。しかし本当の理由は距離です。近くの人と親近感を持ち、共通の生活習慣と文化を作っているうちに自然と独自の言葉ができてしまうのです。
日本の学校でも近年「多様性が重要」という認識が広がり、先生たちはしきりに「多様性」を強調しますが、その先生たち自身に多様性がない上、生徒たちにも多様性がありません。結局言葉遊びに終始し、誤解を増やすだけなのです。
米国でもダイバーシティやインクルージョンを強調し始めたのはつい最近のことです。60代以上の米国人は有色人種と白人が同じバスに乗れない生活を経験したはずです。様々な移民を共存させ、国家として成り立たせるために人種間の違いを乗り越えるための理論武装としてダイバーシティを強調し始めたのです。いわゆる移民国家のイデオロギーなのです。
一方、アジア、特に東アジアの国々では、大昔から似た民族同士が同じ場所で居住しています。多様性がないとは言いませんが、その相違の程度は米国のような海を越えた移民同士間の相違とまるで違うのです。原住民国家は階級間の差別が問題になることが多いのです。
留学生が多い米国の寄宿学校の食堂に行けば、人種が人の行動にどのように影響を与えるかが分かります。同じ人種の生徒が集まってランチを取る風景はむしろ自然なのです。娘の学校ではこの自然現象を阻止するためにランダムに座席の位置を作り、強制的に生徒たちを座らせるのです。
似たものに親近感と安心感を覚えるのは動物の本能です。赤ちゃんが最初に見る顔はお母さんの顔です。それからお父さんの顔です。これと似たような顔をする人たちに安心感を覚えるのは当然です。生まれた時からこの感覚が脳に仕込まれている可能性もあります。
人間は似たもの同士が集まり、生活と仕事をし、時間を楽しむ傾向は生物の生存本能です。これによって連帯感を持ち、他の人種と競争したり、争ったりするのです。異なる人種の身体や行動や文化に違和感を覚えるのも仕方がないことです。その行き過ぎは偏見と差別になってしまうのですが、これも仕方がないと言いたいところですが、放置すると自分自身の平和が壊れるので克服する知恵が必要になってくるわけです。
ダイバーシティ。多様性を受け入れ、人種差別をなくすというこの理念は、近代の急速な植民地の広がりと移民化によってもたらされた問題を克服するためのイデオロギーなのです。偏見と差別は距離によって生じる普通のことだと分かれば、もう少し余裕をもってこの問題に対処することができると思います。差別した時も差別を受けた時も、です。
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